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20210724 インスタントに「感動」を消費するということ

南スーダン代表の選手が、1年半の合宿を経て、東京オリンピックに参加するらしい。聞けば南スーダンは国内情勢が不安定で練習場所の確保すら困難な中、2019年11月から前橋市が半年の長期合宿を受け入れたそうだ。それが新型コロナウイルス感染症による五輪の1年延期を受け、彼ら南スーダン代表の合宿期間が1年延長された。追加で掛かる1,000万の費用はクラウドファンディングで賄ったそうだ。

 

感動した。目が潤む。

 

世界で最も不遇な境遇の中でスポーツに挑む者がいる。そして、それを一地方自治体が最大限支援し、地域に密着してオリンピックに臨む。日本語という難解な言語を使用している地球の反対側の社会に、読み書きの普及率が30%という地域から訪れ、1年半に及び生活してきた南スーダン代表。彼らは国に帰ったら紛争に巻き込まれて命を落とすかもしれない。小さくない確率で。

 

日本という極めて治安が良く、政情も安定した大国に生まれ育ってきた自分には、想像もできない境遇だ。

 

彼らと前橋市の物語は、2020東京オリンピックの美談として長く語り継がれることだろう。

 

純粋な自分はこのエピソードに深く感動している。他方、斜に構えた自分は美談に絆される自分に飽きれの念を抱く。

 

南スーダンの苦境という本質的問題に目を向けず、「逆境の中で立ち向かう選手への賛歌」という自慰。そもそも日本国民の命をベットして開催されるオリンピック。予算で救えたはずの人。改善できたはずの問題。

 

これらを無視して美談に感動を覚えてしまう自分。

 

結論は出ない。南スーダン代表には、力の限り頑張って欲しい。